[読書メモ]『シャーロック・ホームズの推理博物館』

  • 書籍
  • 2018年09月01日(土) 14:35

p17
彼が女性にもてたことは大変なもので、ファン・クラブができたくらいであった。

p58
ここでホームズが失踪し、3年にわたってチベットなどをまわって帰ってきてからは、仏教の影響でも受けたのか、コカイン常用の週間はピタリとやみ、アルコールさえめったに飲まなくなった。

p59
コカの葉はもともと南米ペルー付近で使われていた興奮剤で、アンデス山脈を走る郵便配達夫がコカの葉1枚を噛んで走れる区間を距離の単位に使ったというくらい、疲れを忘れさせる効果が昔から知られていた。

p94
ホームズは女嫌いで通っているし、日常生活にも色っぽい噂ひとつなく、ワトスンのほれっぽさと対照的である。

p110
ホームズが活躍する 60 篇の物語が今なお新鮮さを失っていないので、私たちはともすれば彼が 19 世紀の人だったということを忘れがちである。

p111
この時期の英国をふりかえってみると、国内の産業は「世界の工場」として反映し、世界のいたるところで植民地をつくり、ヴィクトリア女王(在位 1837 ~ 1901 年)が君臨していた、英国史上でももっとも輝かしい「栄光の時代」であった。その輝きのピークは 1877 年だったと言われている。

p127
一般に日本の船には地名をつけるが、イギリスでは地名のほかに女性の名をつけることも多いようだ。

pp145-146
ドイルが他の作家から引用ないし借用するためには、まず作品をたくさん読んでいることが前提条件になる。ドイルがたいへんな読書家であり、執筆には周到な用意を怠らぬ人物であったことは、ドイル夫人ジーンが次のように述べていることによっても明らかである。/「夫は仕事に対しては徹底的にやる人でした。たとえば、『白衣の騎士団』を書く前には、書こうとしている時代についての知識を頭にいっぱい詰め込んだのです。紋章、よろい、タカの使いかた、農民の習慣、上流階級の風習などを扱った本を 60 冊以上読んでいました」/ただ乱読しただけでなくて、その内容を細大もらさず覚えておく抜群の記憶力をドイルは持っていたようだ。20 年も前に読んだ本の筋や登場人物の名をはっきり言うことができた、と息子のエイドリアンが思い出の記に書いている。

p162
アイリーンとノートンが結婚式をあげた教会で急に証人にされる、静かな住宅街に突然大勢の人が集まって、しかも喧嘩を始める、発煙筒を投げ込んで「火事だ!」と叫ぶ。これでは、まるで子どもだましだ。

p175
これでは、アメリカがまるでギャング王国ではないか。

p176
要するに「冷酷な金もうけ主義の新興成金」というのがアメリカ人に対するドイルの先入観だったようだ。

p219
ホームズは彼女の美しさもさることながら、しっかりした精確と理知的な態度にすっかり参ってしまったのである。

pp227-228
血液型や指紋その他による現代的科学的捜査技術を駆使する小説よりも、推理とか純粋の理論だけを中心とした、人間の心を主題にした当時の物語の方に魅力を感じるのは当然のことである。

p228
今日なお愛読されているのは、特にすばらしい筋とか推理があるからではなく、また画期的な作品だったからでもなくて、、全巻を通じて躍動するホームズとワトスンという二人の普及の人物ゆえに読みつがれているのである[…]。

p236
わたしはできることなら名前を出さずに仕事がしたいのです。わたしの興味は事件そのものにあります。ホームズ《トール橋》

p237
1891 年から3年後の 1894 年に彼は復活しているが、3年という時間は死体がみつからぬ場合に死亡が法的に公認される時期なのである。

p239
私に新しい世界への扉を開いてくれたのであった

p240
ホームズの性格は一見、ぶっきらぼうで人づきあいが少なく、孤独で短気、推理が唯一の楽しみであり、権威主義的で超人的能力をもつ転載というふうに要約できよう。しかし、ライヘンバッハ滝で死んだようにみえたのち、奇跡的に復活すると、ホームズの推理機械のような精確は若干修正を加えられ、アルコールやコカインを使うのもほとんどやめてしまうのである。

p243
悪人が必ず罰されること、探偵は成功すること、読者の期待を裏切らないこと、ホームズが身近な人であること、気晴らし的読書に適当な軽い内容であること、あまり怖くない冒険であること、などの読者の要求にぴったりマッチしていたので、大衆の人気を博することができたとも考えられる[…]。

p243
モリアーティ教授にみられるような、犯罪を操る総元締めという新しい考えをもちこんだこと。

p245
howler(大失敗)

p246
大きな帽子をみたとき、「これほど大きい頭には、中身もずいぶんたくさん詰まっているというものさ」(《青いガーネット》(15))とはいえても「すぐれた知能をもっている」と断定できないことは今日では解剖学的にも証明されている。

p247
イギリスの「怒れる若者たち」の代表的作家キングズリ・エイミス(1922 ~ 1995)は、「腐敗した警官が描かれていない。犯罪者があまりにも憎まれている。権威を尊重する傾向が強すぎる。現実逃避だ」と『ホームズ物語』を批判している。

p249
ホームズが扱った 60 の事件のうち、[…]全体の 75 パーセントは 75 キロ以内、つまりロンドン市内、ないしはその周辺の事件である。

p254
《ウィステリア荘》(28)、《ブルース – パーティントン設計図》(38)、《フラーンシス・カーファックスの失踪》(52)などでホームズは不法侵入をおかしているが、「法が何もできないなら、ぼくたちが打って出るしかないのだ」(《ウィステリア荘》)とその心意気を述べている。「法的には犯罪だが、道徳的にゆるされるなら、危険なんぞを気にすべきではないだろう」(《犯人は二人(46)》)。

p258
先訳を参照できるから、あとの訳ほど優れたものになっても当然だが、風味はまた別の問題である。

p263
シャーロッコロジー(シャーロック学)

p271
人生、死ぬまでに一つぐらい全身全霊を挙げて打ちこめるものをもちたい。それは文学でもよいし、土木事業でも、宗教でも、盆栽でも、絵でもいい。それがない人は、何のために生きているのだかわからなくなって、うつろな一生を送らねばならぬ。

p278
ホームズが世紀の変わり目における時代精神を象徴している

p280
登場人物の名前も、ワトスンやハドスンなどといった平凡な名と「バーソロミュー・ショルトー、アセルニー・ジョウンズ、ポンディチェリ荘」などといった非凡な名とが好対照をなしている。

p282
ホームズの面白いところは、ヴィクトリア朝末期の世相がうまく表現されているところです。あまりえげつなくもなく、かといって過度に上品でもなく、上流から下層まで、ロンドンとその近郊のいろいろな場所を舞台としたところに、つきない興味がある・・・・・・[。]

p286
当時の一般市民は順法精神が旺盛ではあったが、心のどこかで無政府主義のテロリズムを歓迎する風潮があった。

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