ホームズ研究に入り込む隙間はあるのか問題
- 一般
- 2019年03月04日(月) 17:59
以前からシャーロック・ホームズ研究について思っていたことがあります。それは「自分もホームズ研究に貢献できるのか」ということです。
ホームズ学(シャーロッキアーナ)は古今東西にそれこそ膨大な研究があるので、それを読み解くだけでも十分楽しめます。日本語でもたくさん過去に書籍があるので、ホームズに興味を持った人はそれを集めることから始める人も多いはず。英語等の外国語が分かれば、さらに海外の情報を集められます。
一方で、単なる人の情報のフォロワーに終始するのではなく、自分自身がホームズ界に新たに貢献したいと思うと、「これはすでに誰かがやっていることじゃないかな」「こんなことはすでに語られ尽くされているのでは」と思って尻込みしてしまうこともあります。
もう、自分が入り込む余地はないのではないのか・・・(この議論さえも、きっと誰かが言ったことのはず・・・)。
もちろん、誰も考えつかなかったことを新しく始めるのではなく、過去に誰かがやったことを再現したり、繰り返すことにも意味があるとは思います。国や時代が変わると文脈が変わりもします。BBC の『Sherlock』だって、よくよく考えれば過去に繰り返し映像化されてきたホームズ物語を、少しひねりを加えて再映像化しただけとも言えます。
『Sherlock』から学べることは、「ホームズ、プラス何か」で新たな付加価値を生み出すことができるということです。そう考えると、自分が持っている得意な何かとホームズを結び付ければ、誰も思いつかなかったようなアイデアが創造できるのではないでしょうか。「結び付ける何か」はホームズに関係ないほどなおさら、思いも寄らないものが生まれる可能性あります。
冒頭の疑問はなんだか自己解決しました。
私はライターでもあるので、ホームズ関連の本を書きたいという野望がありました。それと、日本で出版されているホームズ本を集めて気付くのが、10 人ぐらいの著者(人数はイメージです)の本しかないということです。これでは読者として不満ですし、日本のホームズ研究に偏りが出てしまう。実際に日本シャーロック・ホームズ・クラブの会員だった方にそのことを聞いてみると、「偏ってますよ〜」だそうです。
それならますます私が本を書きたい。それでも過去の著者のレベルの本を出すには相当時間が掛かりそうだなあと考えると、単なる夢に終わりそうでしたが、それもあっさり実現しました。ホームズ読書会を1年掛けて開いたんだから、ホームズ読書会について本を書けばいいと気付いたからです。今の時代、出版社を通さなくてもセルフ・パブリッシングで簡単に本を出せるんだから、どんどん本を出版してしまえばいい。そう思って去年ホームズ読書会の書籍を作りました。
自分ができることや、自分が得意なことをホームズと創造的に組み合わせることができれば、いくらでもホームズの世界で自分ができることはあるんだ、というのは大きな発見でした。異なる分野をアクロバティックに結び付けるヒトの創造性は、ホームズ研究に限らず、AI がどんどん浸透していくこれからの時代にますます必要だとも思いました。