[レビュー][読書メモ]『評伝 コナン ドイルの真実』(河村 幹夫)

honto でアウトレットとして半額で販売されていたときに買った本です。

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これほど詳細にまとまったコナン・ドイルの人生について書かれた本は初めて読みました。アウトレットで発売されていると「投げ売りされている」感じがするので、もっとちゃんと評価されるべき本だと思いました(現在は定価で販売されています)。

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今まで見たことがなかった写真もたくさん見れたのも良かったです。

私は文章を書くことが仕事のひとつなので、特に物書きとしてのコナン・ドイルに共感しました。

また、コナン・ドイル作品はホームズ以外の作品はまだ読んだことがないので、そろそろ読んでみようかなと思いました。

以下は付箋を付けた箇所のメモです。

* * *

p29
「満つれば欠ける」の例え通り、19世紀最後の四半世紀は、多くの人は気がつかなかったが、まさに大英帝国の地位に影が差しかけようとしていた時期であった。

p31
下宿屋の娘メアリは、ロンドン育ちの都会人で、教養もあり、物腰もやわらかい、ボヘミアン的なチャールズにだんだん惹かれていった。

p32
まだ字の読めない頃から騎士道物語を繰り返し聞かされていたドイルは、いつしか自分自身が「上手な語り手」となり、字が読めるようになると、近所にあった小規模な図書館から手当たり次第に本を借りてはむさぼるように読む、読書好きな子供に育った。幼少期からの読書の習慣が、ドイルの文章力の基礎を培うこととなった。

p55
どんな逆境にあっても希望を失ってはならない。希望を捨てた人間は人間性まで堕落してしまう。

p55
意志こそが人間の完全に所有できる唯一の財産だ。

p55
時間を正しく活用すれば、自己を啓発し、人格を向上させ、個性をのばしていける。

p58
現代でもイギリス人の人生観の根底には、ヴィクトリア女王時代の「自助」の精神がしっかりと根を生やしており、例えば他人に対する親切心というものは、相手が持っているはずの自助の精神を逆なでするものであってはならない、そういった意味では「限定的」であるし、またそれが相手に対するエチケットでもある、というわけである。子供が石につまずき転んで泣いても、親もまわりの大人もすぐに走って行って抱き起こし、手やひざについた泥をはらってやったりはしない。その子供が持っているはずの「自助の精神」を認めないことになるからだ。

p63
[パブの]「サルーン」の方は、労働者階級より上の、女性も入って飲める、すなわち紳士淑女用であり、床にはじゅうたんを敷き、上質のテーブルと椅子、それにゆっくり座れるようにソファも置いてある。同じ物を注文しても労働者諸君よりは高くつくが、カウンターの部分を除いて、仕切り壁で完全に区別されているので、紳士淑女と労働者がまざりあうことは絶対にない。

p69
当時は既に地下鉄も相当に発達していたが、ワトソンの記録では、ホームズが地下鉄を利用したのはたった1回(「赤毛連盟事件」)だけだった。

p71
「まったく!何という美しい人なのでしょう、このエルモア・ウエルドンというお嬢さんは。私たちはもうかれこれ1週間ほど親しくおつき合いしましたので、そろそろ機は熟しているようです。もっとも他にも2、3人、私が結婚したいと望むお嬢さんたちもいますので、私は今どうしたらよいのか悩んでいる状態ですーー頭の中は完全に混乱しています」。

p71
彼女は1,300ポンド (1,300万円)持っていますが、私は自分の頭脳の他には何も持っていませんから、この話をどう前に進めていけるのか私にはわかりません。

p87
ルイーズは、気持ちのやさしい家庭的な女性だった。ドイルは、それまでの殺伐とした精神生活に終止符を打つことができた。考えてみれば彼は子供時代から、ヴィクトリア時代の徳目とされていた「温かい家庭生活(ホーム・スイート・ホーム)」を体験していなかったのだ。収入も、少しずつではあるが増加しつつあった。ルイーズは、これといった才能や知識の持ち主ではなかったし、読書にもなじんでいなかったが、女性らしく、優しく温かい心を持ち、むずかしいことは常識をベースに判断し、縫い物、つぎ当て、洗濯などの身のまわりのことに精を出す、男性側から見れば、好ましいヴィクトリア時代の妻、親しみをこめて言えば、ホーム・ガール(家庭的な女)だった。

p87
ドイルは2、3年前から一つの考えに執着していた。それは、「商売は待っていては駄目だ。患者を待つだけでは自分が先に滅びてしまう。外に出て患者を取ることが肝心だ」

p87
特に、酒には注意した。自分の命を預けることになるかもしれない医者が酔いつぶれている姿を見て、安心する人はいないだろうと思ったからだ。

p88
ドイルは特に、クリケットとサッカー(アソシエーション・フットボールの短縮・変形)には熱を入れていた。

p91
ドイルは、ベル博士が秘かに同地の警察の「コンサルタント」をしていることも知るようになった。この事実はあまり知られていないが、ホームズが世界で最初の「コンサルティング・ディテクティブ」(諮問探偵)として「緋色の研究」でデビューしたのには、このような背景があった。

p99
(彼は一たび構想をまとめると、筆は早かった)

p108
ドイルは「書き魔」だった。何でも彼は題材にした。そして一旦、着想を得ると、筆は速かった。細部や整合性にあまりこだわらず大きな流れをつかまえて、ぐいぐい押していくタイプなので、読者は一旦読み始めると大筋の展開に引きずりこまれて一気に最後まで読み通してしまう。

p108
ドイルの文章力の基礎となったのは、幼年期からの読書量の多さに求めることができる。まだ字の読めない頃は、母親メアリから騎士道物語を繰り返しかんで含めるように聞かされ頭の中にたたきこまれたので、知らず知らずのうちに自分自身が「上手な語り手」になっていた。

p119
ついにドイルは、積年の貧乏の軛から解き放たれただけでなく、純文学の読者を対象とする本格作家(serious writer)と、大衆を相手とする物語作家(storyteller)の二つの顔を併せ持つようになる、と少なくともドイル自身は確信したに違いない。

p120
もうこれ以上、人生の上っ面をなめるような仕事を金輪際やめて、著述に自分の力のすべてを注ぎ込むことを決心した。

p124
第一次大戦末期の1918年には、新型のインフルエンザ「スペイン風邪」が、欧州で大流行した。戦争当事諸国は厳重な情報管制をしいて、感染者の増加による戦闘能力の低下が敵方に察知されないように努力していた。[…]これが「スペイン風邪」といわれたのは、参戦各国が自国に不利な情報を流すまいと情報管制を厳しくしていたなかで、中立国であったスペインからは「国民がバタバタ死んでいる」との情報が流出したため、このありがたくない命名につながったようである。

p142
こともあろうに親族たちに不倫の現場をおさえられてしまったドイルは、ーーこれが彼の特徴的な反応の姿勢なのだが、ーーかえって開き直ってしまった。

p153
ドイルはそれまで政治に特に強い関心を持っていたわけではないが、主要テーマが自分の心の故郷アイルランド自治問題とボーア戦争となると、血が騒ぐのを止めることができなかった。

p161
それまでにドイルが書いた「緋色の研究」、「四つの署名」が形式的には倒叙法になっており、第1部が結末、第2部がその事件の原因という実質2部構成になっている[。]

p161
実はそれまでのホームズ物語では、事件発生日と「ストランド誌」掲載日との間には、せいぜい数年間の間隔しかなかった。つまりドイルは、事件発生と掲載の間の時間を短縮することで、事件の同時代性を強調して、読者に新鮮な印象を与えるように努めていたのだった。

p163
彼[シドニー・パジェット]は、健康を損ない筆を折るまでの約13年間に、計357枚のホームズ物語の挿絵を担当した。

p170
ドイルは1905年11月27日付の手紙で母親にこう書いた。「神の思し召し。『サー・ナイジェル」完成。132,000語。絶対最高の作品」。

p172
その時々の関心や、生活のための必要性に応じて彼は小説を書き、新聞社に投書し、母親に1,000通以上の手紙を書いた。

p175
「今、最も幸せなのは妻君と一緒に自転車にのって30マイル走ること。最も楽しいのは3歳になった娘のメアリが三輪車に乗って庭の芝生で走り回っているのを眺める時だ」

p180
ドイルはむしろ喜んで一家の実質的支配権をジーンに渡し、自分は執筆と外部での活動に専念するという、秘かに望んでいた状態を実現できたことに満足していた。

p180
「国家の栄光の基礎は、国民の家庭におかれている。我々の人種と国家における、家庭生活(family life)が強固で、質実で、道徳的(strong, simple and pure)である限り、その基礎がゆらぐことはない」

p183
ガバネスや、新しい技術(例えばタイピストなど)を習得した女性たちを除けば、職業を持たない普通の女性たちが生涯にわたり安定した生活を送りたいと願えば、ほとんど唯一の機会は「結婚」だった。

p189
ドイルの正義感は、大英帝国主義者らしく、常に「上から目線」だった。社会から不当に扱われている者、社会にしいたげられている者たちと同じ目線に立った共感というよりは、そういう人たちに対し「社会の正義」を与えるのが世界に冠たる大英帝国の為すべきことであり、それを強く主張するのが知的エリート階級の義務であり、役割であるとドイルは確信していた。

p192
現在のように、国ごとにオリンピック委員会が設立され、それぞれの国で代表選手を決めて参加するようになったのは、第4回大会、1908年のロンドン五輪からだった。[…]そしてこのロンドン五輪は、国同士の対抗心が露になった最初の大会だったと言える。

p208
ドイルは天性の、といってよいほどの「書き魔」だったので、どんな題材でもこなしながら一編の物語に仕立て上げる術を心得ていたつもりだった。

p211
わたしの考えでは、小説の手法は、興味を涌かすという本質的な目的を達成さえできたら、天と地とともに窮まりなく広い、と言って差しつかえない。すべての方式と流派は、ローマン派と写実主義、象徴主義と自然主義を問わず、目指す目的はただ一つーー興味を涌かすことだ。この目的を達成する限り、いずれも正しく、この目標が実現できない場合は、無用なものとなる。

p218
彼は子供の頃からたいへんな読書家であり、かつ、筆が早かった。したがって一つの作品の構成が湧き上ると、徹底的に調べ物をするのだが、その途中でも、もし興趣がそそられると猛然と書き始めて止まるところを知らなかった。プロットの大筋を追い、細部にこだわらず、枝葉末節に顧慮せず、一気呵成に書き上げることを得意とした。だから文章はメリハリがきいているし、登場人物も生き生きとするのだが、細かく注意して読むと、論理的に一致しなかったり、前後関係がおかしくなったりする。しかし、ドイルはそんなことには頓着しなかった。

p239
ドイルは、しかし「売られた喧嘩は買う」ことには何のためらいも感じなかった。それが男というものであり、やる以上は当然勝つべきであった。しかし喧嘩でもなんでもルールはあるべきだ、というのがスポーツマンとしての彼の信条でもあった。ルールに基づいて争い、勝者には栄光が、敗者にも同情が与えられなければならない、それがドイルの正義感の根底であった。

p239
彼はヴィクトリア時代的感覚でのヒューマニストであったが、階級社会におけるヒューマニズムにはそれなりの限界があった。

p256
これより先、ドイルは1922年には近くにフラット(15 Buckingham Place Mansion)を借りて、彼のロンドンでの活動の拠点としていたが、(一説によると)もはや自力で出版・販売活動する以外は心霊主義を啓蒙する有効な方法はないと自覚して2部屋を借り、1部屋を書店(心霊主義関連の本に限定)に、もう1部屋はミュージアムとして心霊主義関連の参考資料や事例を陳列・展示していたとの説もある。

p268
宗教ならば、もう地球上には多すぎるほど存在する。不足しているのはその普遍的原理・原則なのだ。

p269
手相占い(英語ではpalm-reading=掌を読む術)

p281
「多くの点で、結婚は自分の人生の転換点になった。独身男性、特に自分のような放浪者だった者は容易にボヘミアン気質になってしまうのだが、自分も例外ではなかった」

p369
ドイルは1921年 – 1927年の間にホームズ短編物をさらに12作書き、「事件簿」としてまとめられたが、心霊主義啓蒙活動のための資金作りという彼の意図が明白で、作品としては内容的にも気合いが入っていなかったので人気は出なかった。

p369
一つだけ確かなことは、ドイルはホームズが大好きだったということ。それは、ドイルが持ってはいるが現実には発現できない人間的一要素をホームズが化体していることーーホームズの人見知りする性格、自説を曲げない頑固さ、他人を頼りにしない行動力、放埒な支配者層に対する嫌悪感と羨望心の複雑なからみ合いーーなどは、生みの親ドイルからつながっている血筋だからである。

p316
「書き魔」ドイルは実に多くの作品を世に送り出したが、その大部分は得意としていた短編であった。

p377
「私はこの『緋色の研究』が自分としては上出来の作品だと確信していたので、大きな期待をかけていた。それだけにまるで伝書鳩のように出版社に送っては戻されてくることの繰り返しはきわめて残念だったし、心は傷つけられた」

p378
二人が転地療養に行ったスイスのダボスは、現在は「ダボス会議」で有名だが、既に18世紀中頃から主としてイギリス人向けの温泉保養地として知られていた。当時は住民の約半数はイギリス人で、彼らのための教会もあり、新聞も発行されていた。結核療養者も多く、賑やかな町になっていた。

p381
しかし、彼には密かな野心もあった。それは「戦時特派員」となって現地で取材し、誰よりも早くそれを読者に伝えたい、というジャーナリスト的願望だった。戦争や争いの場面を生き生きと描写することにかけては、彼は誰にも負けない自信があった。そういう場面に遭遇すると、彼の血は騒ぎ肉は踊るのだった。だから彼は、野戦病院に送り込まれてくる傷病兵たちから現地の戦況を聞き出してはメモをとった。そして戦争の帰すうがはっきりしてくると、できるだけ早く帰国して戦争体験を語りたい、という気持ちにかられるのだった。

p381
彼は自分より上の階級の支配者的優越感とか、それに起因する横暴な行為について嫌悪感を持っていた。それはホームズ物語の中にも表れている。

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