正典に根拠があるかどうか問題
- 一般
- 2022年05月15日(日) 10:17
『立花隆の本棚』(立花隆、中央公論新社、2013:p85)に以下のように書いてあり、すごく納得しました。
職業として文章を書くようになってからは、『広辞苑』はほとんど使っていません。ある時期は使っていましたけど、そんなに熱心には使っていない。「『広辞苑』によれば」という表現を安易に使う人がいるけれども、もともと、あれが嫌いだったんですね。だから「『広辞苑』によれば」だけはやるまいと思っていました。
同じ理由で僕は「Wikipedia に書いてあった」と言う人は信用できません。「広辞苑によると」と書かれている書籍も信用できません(意外と多いです)。
立花隆さんのようなプロのジャーナリストからすれば、広辞苑ですらそれを根拠としてものを語ったり書いたりするのは避けているのですから、Wikipedia なんて情報の根拠としたくないです。
広辞苑も Wikipedia も “分かった気” になるものです。一般の人が普通の会話で使うならまだしも、プロの職業人が「広辞苑に書いてあった」「Wikipedia に書いてあった」とドヤ顔で言うことは恥ずかしいことだと思います。
ホームズ研究の場合、「正典に書かれているか」「客観的根拠があるかどうか」が真剣に耳を傾ける価値があるかどうかの僕なりの判断基準となっています。ホームズ物語は 100 年の前の小説で当然作者や関係者が亡くなっており、研究者が言いたい放題になりがちです。結構 “拡大解釈” や “妄想” と呼べるような説も多いです。
僕の性格上、曖昧なことは嫌なので、「かもしれない」と言っていたらきりがないじゃないかと思ってしまいます。
でもそれはそれで半笑いで楽しむこともできますし、拡大解釈や妄想が数多くのパロディー作品を生んでいて、おそらく原作より多くの人数を楽しませていることも否定できません。
それと何を「客観的」とするかはグレーゾーンの部分が多いと思います。「正典に記述はないけれど “常識的に” 推測できること」は客観的と呼べるのか。他にも、例えば精神分析的視点はたとえ専門家による分析であっても「客観的」と言えるのか。難しいケースは多いと思います。
派生作品が溢れているからこそ、何がオリジナルかが分からなくなっている人も多いでしょうし、原典を読んだことがなく派生作品しか知らない人も多いはずです。だからこそ、原典をしっかり読み、ホームズ物語について厳密に語れる人は逆に価値があるはずです。
また正典を読み返したくなってきました。
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